稽留流産診断から自然排出まで~前兆から完全流産までの期間の経過まとめ~

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妊娠*出産

今回は、私が流産を体験したときのことを書きます。

詳しく書いてあるため苦手な方は読まないでください。


稽留流産かもといわれてから、インターネットで「稽留流産 奇跡」「稽留流産 心拍再開」などたくさん調べました。

確定診断されてからは似たような体験をした方のブログなどをたくさん見ました。

そんな経験もあり、自分の体験が少しでも誰かの参考になればと思い書くことにしました。

あくまでも私の場合です。

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妊娠発覚から初診で心拍確認

私にはすでに2人子どもがおり、普通に妊娠して普通に出産しています。

今回も何事も変わらず普通に妊娠して3人目ができました。

妊娠7週目あたりで病院を受診しました。

「心拍がかすかに見えるかな?また2週間後に来てください。」

と言われました。

前回の妊娠のときは毎回エコー画面を見せてくれたのに今回は見せてもらえなかったなぁと、帰りながら思いました。

7週の時点では排卵がずれていたりで、心拍がまだ見えなかったり、大きさも小さいなんてことはありえることと先生も話していましたし、特に気にすることは全くなかったです。

そのときのエコー写真はこちら

今、見れば卵黄嚢が大きいです。

この卵黄嚢が大きいと赤ちゃんに栄養がいきわたっていない可能性があるようです。

稽留流産かもと診断されるまで

次の受診は9週目でした。

主人と2番目の子を連れての受診でした。

待ち時間が長くておしっこを我慢していたのを覚えています。

そのまま診察になってしまい、診察してもらっているんですが、先生がずっと無言…

「ちょっと膀胱におしっこがたまっていてエコーがよく見えないようだから、トイレに行ってからもう一回見てみよう」と言われました。

今までそんなこと言われたことがなかったので、なんだか嫌な予感がしました。

トイレを済ませてもう一度、診察してもらうと

「赤ちゃんがね、見えないんだよね。前回は、心臓が動いていたんだけど心臓みたいなものも見つからない。流産っていう診断は、丁寧にしないといけないから、今回はもしかしたら見えなかったっていう可能性もあるから、1週間後にもう一度診てみよう」

と言われました。

…頭が真っ白でした。

まさか予想もしないことを言われてどうしたらいいのかわからなくなりました。

そのときのエコー写真です。

1人目、2人目の同じ週数のエコー写真と比べてみても明らかに赤ちゃんのようなものがうつっていないのがわかりました。

1週間後…奇跡は起こらなかった

帰宅後、ネットで稽留流産についてたくさん検索しました。

心拍確認後に流産になるのは、約5%と書いてありました。

まさか、その5%に入ってしまうなんて…

「9週の壁」「魔の9週」などの言葉もたくさん見かけました。

初診のときに先生が「心拍がかすかに見える」と言っていたときにはきっともうダメだったのかなぁなど色々考えました。

「稽留流産 奇跡」「稽留流産 心拍再開」などの体験が数件あり、そのような記事ばかり探しました。

自分の母に電話をし、「そんなの諦めきれないよね。診断されるまではまだわからない。きっと大丈夫」と言われたのを覚えています。

初日はもうだめだと泣いていましたが、どうせ一週間つらい思いで過ごすなら、まだ可能性がゼロなわけではないから、赤ちゃんは生きている、大丈夫だっていう気持ちで過ごすことにしました。

お腹にもたくさん話しかけました。


そして、一週間後、母が病院についてきてくれました。

診察台にあがり、エコーをしてもらうと「やっぱりねぇ、赤ちゃんが見えません。稽留流産です」と言われました。

大丈夫だと思っていたけれど、心のどこかでそうなると思っていたのかもしれません。

とても冷静な自分でした。

「手術もできますが、どうしますか?」と言われました。

何も考えていませんでしたが、「自然に待つことはできますか?」と自然に聞いていました。

先生は、手術となると三日間入院して前処置などがあることを説明してくれ、自然排出でも手術でも今はどちらでも体に対しての負担は変わりないから、自分の好きなほうで大丈夫だと言われました。

どちらを選択しても、1回生理が来れば次の妊娠をしても大丈夫だと言われました。

「とりあえず、待ってみて全然出てこないようだったら、手術も考えます」と伝え、また2週間後の受診になりました。

「出てしまったら、病院に来たほうがいいですか?連絡したほうがいいですか?出たものは持ってきた方がいいですか?」と確認し、「血が止まらなかったり、腹痛がおさまらずに、どんどん痛くなるようだったら来てください。持ってこなくても大丈夫です。」と言われました。

そんな質問も自然に出てしまう自分の冷静さに少し驚きました。

診察室を出て、悲しくて悲しくて、母に伝えると母の方がたくさん泣いていました。

私は、もともとつわりはなく、稽留流産になって突然つわりが軽くなったなどの予兆などもわかりませんでした。(稽留流産でもつわりが続く人もいるみたいですね)

ですが、今振り返ってみると急に胸の張りはなくなったのは覚えています。(胸の張りがなくなっても妊娠継続している方などもおられるので一概には言えませんが)

それ以外、本当に検診まで自覚がなかったので、本当に流産しているなんて、しかもまさか自分が?と何度も何度も思いました。

それでも、もう受け止めるしかないんだなと思いました。

前兆から自然排出までの経過

自然排出を選んだ理由

まず私が自然排出を選んだ理由は、私が通院していた病院は、手術となると3日間入院しないといけないようで、下の子は家で見ていたので誰か仕事を休んでみてもらわなければいけません。

早くて数日後に休みをとってもらって…など大変だろうと思ったこと

私は、まだ仕事をしておらず出かけるのも上の子の幼稚園の送り迎えと買い物くらいでいつ出血がおこってもたぶん大丈夫だと思ったこと

そして、手術は日時が決められているから怖いし、とても痛いらしいということ。

自然排出も痛いだろうけれど、出産も経験しているし出てしまえば覚悟はできると思ったこと

あとは、自然排出して初めて自分の気持ち的に受け入れられるんではないかと思ったからです。

先生曰く、本当にいつ排出するかはわからない、一か月以上かかる人もいると言っていました。

いつ出血するかわからない恐怖と流産してしまった悲しさはありましたが、常に下の子と一緒にいるので、ずっとくよくよしてもいられないので、気を紛らわすことができました。

前兆

私の場合、前兆はありました。

今まで何も症状がなかったのですが、ちょうど病院受診から2日後の11週0日(もう妊娠週数で数えても意味はありませんが、わかりやすく…)おりものが茶色に変わりました。

それを見てそろそろなのかなと思いました。

3日~4日間くらいは量はそんなに多くなく、腹痛などもなかったです。

茶色いおりものが出始めてからは、極力家にいました。

出血

11週5日目の夕方に茶色いおりものの量が増えました。

腹痛も生理痛の少し軽いような痛みに変わりました。

もう出てくるのかなと思い、子どもたちを早く寝かせました。

ここからは時系列で書きます。

22:30 布団に横になっていると、今までとは違う生理痛の強い痛み+お腹を壊してキューっとなった強い痛みに襲われ、トイレに座ってみる。

22:45 15分くらい座ったところでにゅるにゅると塊の血液が出始めました。
少し、落ち着いたところで布団に戻りました。

1:00 2時間くらい横になったところで、またキューっと絞られたような痛み(子宮が収縮しているのかな?)に襲われ30分くらいトイレに座り、どろどろの血液が出ました。
落ち着いたところで布団に戻りました。

4:00~4:30 この時間帯が1番血液が出ました。血液、血液の塊、レバーみたいなもの(生々しい表現でごめんなさい)が便器一面でました。
一応、便器をのぞいたり割りばしで探っては見ましたが、胎嚢のようなものが出たのかよくわかりませんでした。 

5:00 先ほど出切ったのかお腹をさすっていると痛みが落ち着いてきて気づいたら寝ていました。


それから2日間は、軽い生理痛と生理3~4日目くらいの出血が続きました。

ほとんどナプキンにはつかず、トイレに行くと少し出る…みたいな感じでした。

痛みも落ち着き、もうこれで終わりだと思っていたのですが、その次の日また腹痛が強くなりました。(12週1日目です)

昼頃にまたレバーみたいな出血が出るようになりました。

その日は日曜日だったので明日まで出血と腹痛が続くようなら病院に行こうと思っていました。

すると、夕方これは明らかに胎嚢だろうというものがにゅるんと出ました。

大きさは3センチくらいで袋のような赤い塊でした。

その塊が出たら痛みが全くなくなりました。

出血は、生理の終わり頃のような感じで少し出るかな?程度がしばらく続きました。

その4日後、受診の日だったので先生に出血の経過と胎嚢のようなものが出た話をしました。

内診をして、ほとんどきれいに出ているけれど、まだ少しお腹に残っている感じがするので来月にもう一度診ましょうと言われました。

特に内服薬もなく、処置もありませんでした。

もしも、中にまだまだ残っているようなら洗浄をしなければいけなかったと言っていました。

助言

腹痛が起きたときから、出血に備えてパンツタイプのナプキンをはいてました。

大量の出血はさすがにパンツタイプのナプキンでも収まらないので、トイレに座っていたのですが、少し出血が落ち着いているときは、だいぶ安心できました。

このおかげで布団や衣服は汚れずに済みました。

それと、出たものを確認するため、トイレが自動で流れないように設定を変更しておきました。

トイレにティッシュをひいて胎嚢はキャッチすることができました。

それと出たものは病院に持っていくのかを確認しておくと、いいと思います。

私の場合は持ってこなくて大丈夫と言われましたが、持っていく場合はどのようにして持っていけばいいのかも確認しておくといいと思いました。

その後の経過

いつ生理が来たか?

胎嚢が排出し、出血はだんだん茶色いおりものに変わり、2週間程続きました。(妊娠14週あたりになって何もでなくなりました)

何も出なくなった1週間後に、生理が来ました。

少し心なしか血液が多いような…でも普通の生理でした。

次の受診の前に生理が来て、ちょうど終わって受診という形になりました。

なので、受診時では生理できれいに流れたみたいで子宮はとてもきれいだと言われました。

もう生理が来ているのでいつ妊娠しても大丈夫です。

と言ってもらえました。

流産後は妊娠しやすい?

流産後は、妊娠しやすいなどネットで見かけました。

私の通う病院の先生は、生理が1回来ればもう妊娠しても大丈夫だと言っていました。

特にタイミングはとっておらず自然にまかせましたが、4回程生理を見送って妊娠しました。

たぶん妊娠したときは、タイミング的に合っていたので私の場合すぐに妊娠したと言えるかもしれないですが、流産後が関係あったかは不明です。

自分の気持ちの整理と私なりの供養の仕方

まさか、自分が3人目で流産するなんて思ってもみなかったので、子供たちにも妊娠してすぐに報告していました。

身近な人にも報告していたのですが、話すのが本当につらかったので、妊娠の報告は早めにするものではないと実感しました…


子供たちに「赤ちゃんには会えないんだよ」って話すと、「やだ…会いたかった」「抱っこしたかった」など正直に話してくれました。

2人の子供はそのとき、4歳と2歳でした。

胎嚢が出たときに、見せようか迷ったんですが、主人と子どもにも見せました。

見たあとに、4人で手を合わせてトイレに流しました。

胎嚢ってどうしていいかわからなかったんですが、持ってこなくていいと言われたので、赤ちゃんはその中にはいないと私たちは思ったのでトイレに流しました。

水子供養という言葉がありますが、相談してみたら(何かあると相談する方がいるのですが】今回は水子には当たらないと言われました。

なので、何か特別にしたことはありません。

人それぞれ考え方があると思いますが、自分たちが納得できればいいと思います。


今回、母が自分のことのように悲しんでくれて一緒に泣いてくれました。

母がお腹に来てくれた赤ちゃんに何かしてあげたいと言ってくれたので、母と子どもたちと4人で出かけて赤ちゃんの靴下をみんなで選んで買って、子どもたちと折り紙で鶴を折ってくれました。

それらを部屋の隅っこに飾って、毎日手を合わせることにしました。

自分が満足するまで飾ればいいんじゃない?と母に言われたので、次の赤ちゃんが産まれたらその靴下を履かせてあげようと思っています。


今回流産を経験して、今自分が2人の子供をなんのトラブルもなく妊娠、出産できている現状に感謝しました。

今ここにある命に当たり前ってないんだなって思いました。

今でも悲しいですし、思い出すだけで涙が出てきます。

きっとこの気持ちはこの先も消えないと思います。

私のお腹に少しの間でも来てくれた赤ちゃん、私に大事なことを教えてくれてありがとう。

私は、そう考えながら、これからもお腹に来た赤ちゃんのことを考えて想ってあげようと思います。


私の経験談を読んでくださってありがとうございました。

私の経験が少しでも誰かの役に立ちますように。


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コメント

  1. YK より:

    私も今日9週目で稽留流産と診断されこのブログにたどり着きました。手術を選択しましたが、読んでいて涙が出ました。書いてくださってありがとうございました。

    • にこ☻ にこ☻ より:

      手術を選択されたようですが、お身体の方は大丈夫ですか?

      私自身も、同様の経験をした方のブログや経験談を読んで、心の支えにしていました。
      ブログを書いたのも、私と同じような経験をした方の気持ちに寄り添えたらと思って書きました。
      今回、コメントをいただいて私も少し気持ちが報われました。
      ありがとうございました。

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